司法試験もしくは予備試験の勉強の方法

司法試験、予備試験の勉強の方法をいろいろと模索してきた。司法試験に合格した人が書いた合格体験記を読んだり、司法試験に合格して弁護士として活躍している方のブログや動画を見たりもしてきた。私自身も今までの経験で過去問の有用性は知っているので、ひたすら過去問を解き続けたり、予備校本が良いと言われればそれを使って、司法試験委員会の担当する人の基本書が良いと知ればそれを使ってみたり、とあらゆる方法を試してきたが、なかなかしっくりと来なかった。

以下、今までいろいろと調べて、試して、重要だと思うこと。
・「定義・趣旨・判例・条文」を「理解・記憶・表現」すれば「合格」する。
・過去問、基本書、六法、判例は全てツールでしかなく、
 表層を眺めていても血肉化しないし、知識が分散してしまう。
 「知識の記憶」が最重要である。
・短答は1問/2分で解く。論文は主要科目なら30分で答案構成、90分で記述。
・短答過去問を単に解いていくと歯抜けの知識となり、網羅性に欠けて意味がない。
 その分野の目次や要約を自分で作れるぐらいに網羅すること。
・「問題提起→規範定立→あてはめ→結論」の法的三段論法の基本を忘れないこと。
・記憶の定着は、1日後、1週間後、1か月後が重要であること。
・論文とは物語(問題文)を整理すること。答案構成とは目次を作ること。
・70%を取れば合格する。100%を目指す努力は無駄。
・点ではなく、面で学ぶこと。
・アクティブリコール法(インプットしたものを白紙の紙に書きだす等)は有効。
・教科書をいくつも使わない。情報を一元化していくこと。
 (基本書、六法、判例等の情報を論証集に一元化する等)

今まで予備試験の短答が終わってまた来年頑張ろうと憲法から勉強を始めても刑事訴訟法まで辿り着かないことが当たり前だったが、生活リズムの変更、そして、司法試験論文過去問を解くのではなく、解説や解答を読みながら周辺知識を勉強していくやり方に変えて手応えを感じるようになった。約1か月で憲法から刑事訴訟法までの論文過去問1年分の範囲を勉強することができた。自分の中では大きな変化だ。来年の予備試験短答まではこの生活リズムと勉強方法で続けたいと思う。また、過去の司法試験過去問の概要を備忘録として今後残して行きたいと思う。

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叔父が亡くなった

少し前に叔父が亡くなった。自衛隊で数学を教える教師だった。子供の頃から夏休みや冬休みに祖母の家で会うこともあり、神奈川の叔父の家に遊びに行くこともあった。

母から何度も聞かされた内容だが、私が生まれた産後に母の体調が良くない時に叔父が新鮮なメカブを買ってきて包丁で刻んでくれて食べたけどとてもおいしかった、という話は何度となく聞かされた。また、私は法学部を出てその後建築科に編入したが、叔父も教育学部を卒業したが数学に興味があり、聴講生として数学科に通ったことを知っていたので、建築科の編入に悩んでいた時は相談させてもらった。

ある時は祖母の家の近くの川でうなぎが取れるから今度行くか、と叔父が言ってくれて、当日の早朝から餌になる小さな虫を叔父と二人で川の石の裏をひっくり返してたくさん集めたが、いざうなぎ取りに行こうとした時には雨が強くなり川も増水して結局、断念することになった。その後も何度か行く機会を伺ったが、なかなかタイミングが合わず行くことが出来なかった。その頃から10年以上経ち、もう私も大人になっていたが、会う度にあの日うなぎ取りに行けなかったことを心底申し訳ないという思いで謝ってくる叔父になんて律儀なんだと思っていた。

祖母の家の近くの山と川と田んぼの風景

子供の時に夏休みはこの川で朝から夕方まで魚を取ったり、川砂利でダムを作ったり、川の中に落ちている石を削ったりして遊んでいた。自分の人生を振り返っても、最も楽しい時間だった。

叔父は退職後、祖母の家に移り住んだので、この懐かしい記憶とともに叔父の家に行くことが年中行事となった。だが、その叔父もいなくなり、私の両親は健在だが、遠くない将来いなくなる。さらに言えば、私自身もやがてはいなくなる。入院した人が良く言うセリフ、当たり前と思っていたことが当たり前じゃなくて尊いことなんだ、はその通りだと思う。周りに当たり前にいた人も当たり前ではない。今この瞬間にやっていることも当たり前ではない。建築と法律のプロになりたいと、設計の仕事の依頼があって設計の仕事を一生懸命やって法律の勉強も進めているが、設計の仕事の依頼があることも当たり前ではないし、法律の勉強ができる環境にあることも当たり前ではない。誰にでも死という終わりが訪れるが、それでも当たり前ではない全てのことに感謝しつつ、有限な人生である自分の人生を精一杯生き切ることがその感謝への報い方だと思う。

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司法試験予備試験について

司法試験予備試験とは司法試験の受験資格を得るための試験である。一般的に「予備試験」と呼ばれている。現在、司法試験を受験するためには法科大学院を卒業するか、予備試験に合格するか、どちらかの要件が必要である。法科大学院の場合、法科大学院の入学試験に合格し、その後、2-3年大学院に通う必要があり、夜間コースを設けている大学院は少なく、日中に授業を受けることになるので、社会人から仕事を辞めて専業で受験生になる必要がありハードルが高い。逆に予備試験は受験資格はなく、誰でも受験できる。そのため、ほとんどの社会人は予備試験を目指すことになる。

予備試験は、マーク式解答の「短答式試験」、記述解答の「論文式試験」、面接官を目の前に口頭で解答する「口述試験」、それらを一つずつ合格することで最終の予備試験合格となる。
ただ、例えば、その年に短答式試験に合格したとしても論文式試験が不合格となれば、翌年以降は最初の短答式試験からの受験となる。また、それぞれの合格率は短答式試験が約20%、論文式試験が約20%、口述試験が約95%で最終合格率は約3%という狭き門である。

予備試験の受験科目と試験時間は以下の通りである。
■短答式試験(7月の第3週の日曜日の1日間)
:憲法・行政法(公法系科目:1時間)、民法・商法・民事訴訟法(民事系科目:1時間30分)、刑法・刑事訴訟法(刑事系科目:1時間)、一般教養(1時間30分)
■論文式試験(9月の第1週の土曜日、日曜日の2日間)
:憲法・行政法(公法系科目:2時間20分)、民法・商法・民事訴訟法(民事系科目:3時間30分)、刑法・刑事訴訟法(刑事系科目:2時間20分)、民事実務基礎・刑事実務基礎(実務基礎科目:3時間)、選択科目(労働法・経済法・知的財産法・倒産法・国際法(私法)・国際法(公法)・環境法・租税法のどれか1科目:1時間10分)
■口述試験(1月の第4週の土曜日、日曜日の2日間)
:民事実務基礎・刑事実務基礎・法曹倫理(各20分程度)

短答式試験の配点は、憲法・行政法・民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法:各30点、一般教養:60点、の合計270点満点で、合格ラインとしては6割の160点前後である。どの科目も1問あたり、2分程度で解いていかないと時間切れとなり、かなり時間に余裕はない。

論文式試験の配点は、各科目50点の合計500点満点で、合格ラインとしては5割の250点前後である。他の試験ではあまり見られない、結構な量の記述での回答が必要なため、正確な知識の習得が必要となる。

口述試験は合格率からしても合格させることを前提とした試験のため、対策等は必要なものの、短答式試験、論文式試験の勉強をしっかりと行えば、そこまで高いハードルの試験ではない。

予備試験は2011年から始まっている。私自身も今までに10回近くは受験してきたが、予備試験の第一関門の短答式試験で4-5割の点数しか取ったことがなく、短答式試験にすら受かったことがない。去年、今年はそもそも受ける意味がないぐらいに勉強が進んでいないので、受験すら控えている。だが、まだ1か月も経っていないが、生活リズムを変え、予備試験の勉強を本格的に生活に組み込んで、この10年と比べると勉強が進み始めた感覚があるので、来年からは受験を再開する予定である。

大学生で司法試験に合格する人もいれば、一念発起して60歳を過ぎて司法試験に合格して第二の人生を過ごす人もいる。私もいつの時点で合格できるかは分からないが、弁護士資格を取得しようと思う気持ちに変わりはない。また、いろいろとやり方を模索してようやく受験生と同じ土俵に乗れた感じもある。あとはすべきことをしていくだけだ。

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ガラススクリーンの現場打合せ

現在工事中のこの建物。設計の仕事を20年やってきた私でも実際に設計したことのない内容のオンパレードだった。木造のロ準耐火建築物、RC造+木造の混構造、住宅でのエレベーター設置、半円形状の鉄骨階段、屋上庭園、等。そして、特に道路際に設置するガラスブリックで構成するガラススクリーンは本当に特殊な内容となった。

ガラスブリックの最終サンプル

最初に建築主の要望として、LDKに面した庭を設けたいという内容があった。だが、周囲は住宅街で住宅が所狭しと立ち並び、背の高いマンションもちらほら見受けられる地域である。庭を作ってもマンションの上層階からのぞき込まれたり、隣家の窓からの目線等もあり、せっかく設ける庭なのに、気軽に庭に出てゆったりするということは難しい環境だった。いろいろと検討した結果、庭の周囲を壁で囲う「コート(庭)」を作り、できるだけ周囲からの目線に閉ざした空間を目指すことになった。だが、周囲に閉じるということは光や風を遮断することになる。2か所のコートがあるが、その課題を解決する方法として、1つ目のコートは三方の壁の一つの面を周囲からの視線が抜けないが光は通すガラスで構成し、光は入ってくるコートとなるように計画した。2つ目のコートは三方の壁の一つの面を周囲からの視線が抜けないように格子で覆い、格子の隙間から風は入ってくるコートとなるように計画した。

格子で覆うのは格子を設置するだけで良いが、ガラスで壁を構成する方は最終結論に至るまでに時間と労力がかかった。何社かの日本でも大手のガラスメーカーとやり取りしたが、こちらの希望するガラススクリーンには対応できないとの回答。その後、こちらの希望するガラスを扱う会社が見つかったのでやり取りするが、担当者からの連絡は緩慢でやり取りにとても時間がかかった。しかも、やり取りした結果、材料は卸せるが施工上のやり取りには関われないとの回答。協力する気もなさそうなので、そのルートを諦めることになった。さらに同時並行で進めていた構造検討も依頼してから半年近く経った確認申請を提出する直前になって、ガラスに関しては専門外だからとの理由で協力を断られた。思い描く完成形は見えているのに、材料・工事・構造検討の全てで誰からも協力が得られない状態になり、夢でうなされるぐらいまでに追い詰められた。

誰からも協力を得られない絶望感に打ちひしがれていたが、建築主もガラススクリーンの完成を楽しみにしてくれているし、私自身もこれを何としてでも完成させたいという気持ちに変わりはなかったので、このガラススクリーンの参考にした案件の構造設計者やガラス会社に連絡を取った。どちらも急な問い合わせで驚いていたが、経緯や実現に向けてのアドバイスを丁寧に教えてもらった。だが、どちらも会社が東京で、かつ、現状の仕事で手一杯だったため、このプロジェクトに加勢してもらえる状況になく、状況自体は変わらないままだった。

だが、いろいろと動いて状況が好転はしていなかったが、もうここまで来たらどうにかするしかないと、このガラススクリーンの完成に協力してもらえる可能性がある会社に片っ端から連絡を入れていった。10社ぐらいには連絡を入れたと思う。その中でこちらの要望に対して、協力してもらえる会社が見つかった。ようやく好転しだしたと安堵したのも束の間、材工の見積が出てきたら、普通の家が1,2軒建つんじゃないだろうかという金額の見積だった。またもや絶望のどん底に突き落とされた気分になった。

ただここまで来たらもう笑うしかないような状況だったが、諦めずにさらに可能性のある会社5社程度に連絡を入れた。多くの会社が今までの経緯を聞いて、「うちも同じです。」「そもそも難しいんじゃないですか。」等、今まで散々聞かされてきた文面を繰り返すのみだったが、1社だけ「面白そうな内容ですね。協力できると思います。」との回答をもらった。まさに、地獄で仏、だ。

そして、その会社とのやり取りを続け、先日は現場で煉瓦積みやシーリングの職人さんも交えての現場打合せとなった。今振り返っても、終わりのない物語を読み進めているような感じが続いたが、現場打合せまで辿り着いたことが不思議な感じがする。だが、まだ実際にその目指すガラススクリーンが完成した訳ではない。その完成に対して積極的な人達としっかり協力して、完成したものを建築主の笑顔とともに眺められる日を想像しながら進めて行きたいと思う。

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建築と法律の悩み事

設計事務所を始める前からの思いとして、せっかくなら建築だけという限られた専門性だけでなく、建築と法律の両方のプロフェッショナルになりたい、という希望がある。

建築に関して、設計事務所を営む以上、設計の仕事をしっかり行うのは大前提として、私は意匠設計者だが構造や設備のことももっと深く知りたい。また、新建材や法律の改正内容等新しい情報も把握しておきたい。そして、RevitやTwinmotion等、設計力を高めることができるソフトもしっかりと習得したい。すぐには役立たなくても他の設計者の詳細図集や海外の建築事例にも目を通しておきたい。等など。だが、実際は目の前の仕事を進めるだけで時間が膨大にかかり、プラスアルファの自分の理想とする建築の知識を蓄える作業が進んでいない現実がある。

また、法律に関して、建築の編入試験で全国の大学を受け廻っていた時に面接時にほぼ100%、「設計の仕事をするにしても、せっかく法律を学んできたならいつかは法律も生かして欲しい」と面接する大学教授達からのアドバイスをもらったこともあり、会社員時代から細々と司法試験予備試験の勉強もしてきた。設計の仕事は帰りも遅いから終電近くで家に帰り、夜中の0時近くにマクドナルドに行って、2時ぐらいまで勉強をすることもあった。だが、そんな無理な生活は続く訳がなく、しばらく続けたものの、しばらく手つかずということを繰り返した。また、自身の設計事務所を始めてからも細々の法律の勉強は続けているが、数日連続で勉強したとしても、仕事が忙しくて数か月の間、法律の本を開くこともない、という三日坊主を繰り返しており、勉強しているレベルには達していない。

建築と法律のプロフェッショナルを目指してきたこの10年を一言で言うなら、時間との付き合い方にひたすら悩み続けた期間だったように思う。一日は24時間でそれは誰しも平等であり、その時間をどのように使おうとも誰かに何かを言われることもない。だらだらしたければそうすれば良いし、隙間時間も逃さずに詰めて詰めて時間を使うことでも良い。そして、時間に関わる本も数えきれないぐらいに購入した。タイパ、コスパ良く時間を使うにはどうすれば良いか。時間は有限なのだから詰め込みすぎな時間の使い方は間違っている。等など。夜の21時に寝て4時ぐらいから仕事したり、夜中の3時に寝て朝は普通に起きて一日をできるだけ長く使ったりもした。だが、結局、頑張ろうとすると、睡眠時間を削ることが多く、日中のパフォーマンスを考えるなら、これはなんとか避けたいと常日頃から考えていた。

そんな紆余曲折を経ながら、つい最近の1日の過ごし方は、1日を4時間ずつに切り分け、9-13時:建築、13-17時:建築、17-21時:食事・入浴、21-1時:法律、1-9時:睡眠等、という時間割りで過ごしていたが、日中に詰めて建築の仕事をしていたら、夜の法律の時間は疲れ果ててなかなか進まず、変わらず自分の意志の弱さを責めたりする日々が続いていた。

ふと今までの人生を振り返り、時間を有意義に過ごせていた時期を思い出すと、やはり大学受験の3回目の頃と編入試験を受けていた頃だ。どちらも精神的に追い詰められていたということもあるかもしれないし、すべきことは一つに限られていたからかもしれないが、最も基本的なこと、しっかり睡眠を取り、早寝早起きで日中はひたすらその時すべきこと(勉強する)に集中するという生活だった。7時頃には起き、午前中から夕方までカフェや図書館に籠ってひたすら勉強して、夜は早めに寝ていた。

そこで、その成功体験に倣い、午前中は法律の勉強、午後は設計の仕事と建築の勉強、夜は早めに寝るという生活を送ってみることにした。始めてまだ2週間程度だが、起きてから寝るまでほぼぶっ続けの勉強か作業なので、家に帰る頃にはどっと疲れもたまっている感じもあるが、少し前に作業時間を12時間に設定していた時よりも今の9時間に設定している方が確実にすべきこと、したいことがはかどっている。

建築と法律のプロフェッショナルになりたい、ということは言い換えるなら、人の2倍は頑張らなければならないとも言えるが、そのことを考えすぎて睡眠時間を削る生活を長く続けてきた。だが、結果、本人的には不完全燃焼感が強くあった。時間は有限で、睡眠時間を削っても日中のパフォーマンスを落としながらでは中途半端になるし、何より結局、効率が悪い。早寝早起きして日中に目一杯、有意義な時間を過ごすことで自分の望む生活、人生となるように頑張ってみたいと思う。

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