叔父が亡くなった

少し前に叔父が亡くなった。自衛隊で数学を教える教師だった。子供の頃から夏休みや冬休みに祖母の家で会うこともあり、神奈川の叔父の家に遊びに行くこともあった。

母から何度も聞かされた内容だが、私が生まれた産後に母の体調が良くない時に叔父が新鮮なメカブを買ってきて包丁で刻んでくれて食べたけどとてもおいしかった、という話は何度となく聞かされた。また、私は法学部を出てその後建築科に編入したが、叔父も教育学部を卒業したが数学に興味があり、聴講生として数学科に通ったことを知っていたので、建築科の編入に悩んでいた時は相談させてもらった。

ある時は祖母の家の近くの川でうなぎが取れるから今度行くか、と叔父が言ってくれて、当日の早朝から餌になる小さな虫を叔父と二人で川の石の裏をひっくり返してたくさん集めたが、いざうなぎ取りに行こうとした時には雨が強くなり川も増水して結局、断念することになった。その後も何度か行く機会を伺ったが、なかなかタイミングが合わず行くことが出来なかった。その頃から10年以上経ち、もう私も大人になっていたが、会う度にあの日うなぎ取りに行けなかったことを心底申し訳ないという思いで謝ってくる叔父になんて律儀なんだと思っていた。

祖母の家の近くの山と川と田んぼの風景

子供の時に夏休みはこの川で朝から夕方まで魚を取ったり、川砂利でダムを作ったり、川の中に落ちている石を削ったりして遊んでいた。自分の人生を振り返っても、最も楽しい時間だった。

叔父は退職後、祖母の家に移り住んだので、この懐かしい記憶とともに叔父の家に行くことが年中行事となった。だが、その叔父もいなくなり、私の両親は健在だが、遠くない将来いなくなる。さらに言えば、私自身もやがてはいなくなる。入院した人が良く言うセリフ、当たり前と思っていたことが当たり前じゃなくて尊いことなんだ、はその通りだと思う。周りに当たり前にいた人も当たり前ではない。今この瞬間にやっていることも当たり前ではない。建築と法律のプロになりたいと、設計の仕事の依頼があって設計の仕事を一生懸命やって法律の勉強も進めているが、設計の仕事の依頼があることも当たり前ではないし、法律の勉強ができる環境にあることも当たり前ではない。誰にでも死という終わりが訪れるが、それでも当たり前ではない全てのことに感謝しつつ、有限な人生である自分の人生を精一杯生き切ることがその感謝への報い方だと思う。

田中洋平 について

大学で建築と法律を学びました。 大学卒業後は木造の戸建住宅やS造・RC造の事務所や福祉施設等の 様々な構造・用途の建築設計に携わりました。 また現在も、日々、建築と法律の勉強を続けています。 建築(モノ)と法律(ヒト)のプロフェッショナルとして 多様な知識・経験・考え方を通して、 依頼主が望み、満足し、価値を感じる、 一歩先の新たな価値観を提案します。
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